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例のチャリ4

写真: 例のチャリ4

写真: 例のチャリ2 写真: 今度は薔薇を置いてみた

もうこの数字は意味を成さなくなってしまいましたが(爆)
この間船橋のピアノサロン“樂”に集ったPHOTO蔵仲間がみなさん、この自転車のおもちゃを撮って下さっているので、かつて撮った中からの蔵出しです。

これは夜に部屋の電気を切って貰い、長時間露光したヴァージョンです。

自分としては投稿順としてはこれに続きます。
http://photozou.jp/photo/show/1934405/186667463

その記事ではかずさんのものを紹介しましたが、この記事ではあいあいさんのものを紹介しておきましょう。
http://photozou.jp/photo/show/3027278/186687550
http://photozou.jp/photo/show/3027278/186687532

同じ被写体をみんなで撮りあうということは楽しいですね。

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コメント (48)

  • 柳島蒼機(心臓リハビリ中)

    ご紹介ありがとうございます。 笑
    光と影のシンフォニーって感じですな。
    美しいです。
    メインの光の中では顔立ちが、、、
    後輪のリムの部分では反射と後ろ姿が、、、
    そしてそれを引き立てる花の色味、、、
    実体としてのハンドル周りが写っていないところが、妄想を掻き立てさせられ、刺激的なスパイスになっていますね。
    非常に美しい写真だと思います。

    なんか大事な事書くの忘れてたので、自分も追記させてもらいます。 (^^;
    やっぱり、「見えない・見せないは正義」ですね。 笑

    2013年9月8日 05:43 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)

  • 白石准

    あいあいさん、ありがとうございます。

    たしかに実体のハンドルは見えず、影で見えているのは面白いですね。
    って他人事なのは、意識してなかったのであります(爆)
    そしてリムの辺の輝きも。

    ドライフラワーを横に並べる事と長時間露光するとどうなるかなって事しか頭になかったのです(爆)

    なんか今度何時集えるかは判りませんが、皆さんの写真をまとめて俯瞰するために「例のチャリ」コミュニティでも作っちゃおうかななんて思ってます(爆)
    また別のPHOTO蔵の人があそこに行く事が叶ったらまた増えるかも知れないし。
    メンバーを増やすのが目的というのではなく、同じ被写体を俯瞰できるということで。

    2013年9月8日 06:21 白石准 (40)

  • みゆき(多忙&体調不良につき、暫くお休みしますです)

    みなさんそれぞれ同じ被写体でも表現が違うので見ていて楽しいです^^
    構図、アングルちょっとした光の調整などなどで変わるのでしょうけど
    こういうのも撮影の楽しみの一つですね*^^*

    2013年9月8日 08:55 みゆき(多忙&体調不良につき、暫くお休みしますです) (61)

  • 白石准

    みゆきさんの行動範囲にそんなにかけ離れては居ない場所の様ですから、そのうちみゆぎさんヴァージョンの「例のチャリ」の写真を観ることが叶うように祈っております(#^.^#)

    2013年9月8日 11:40 白石准 (40)

  • zero one

    古ぼけた自転車にしか見えないところが・・・Niceshotだ〜(>_<)

    2013年9月8日 14:44 zero one (23)

  • 白石准

    keipin123さん、ありがとうございます。

    本当にまたみんなで集って、今度は僕だけじゃなくて、是非みなさんともお酒を飲みたいと思います:-)

    2013年9月8日 16:20 白石准 (40)

  • 白翁

    実に、手のかかった秀作でございます。見ていて飽きない。^^

    2013年9月8日 19:40 白翁 (21)

  • 白石准

    白翁さん、ありがとうございます。
    そのうち、この被写体を白翁さんがどう料理するのか見てみてみたいと本当に思います。

    夜の長時間露光にはまりはじめたころの一枚でした。

    2013年9月9日 08:29 白石准 (40)

  • nophoto_70_mypic.gif

    白石准さん、こんにちは。月光花です。
    同じ被写体を皆さんで撮影、写真の学校や教室、クラブ活動でよく観る光景ですね。思い想いの観点から撮影する、好い刺激になります。でもその被写体に興味が無かった場合、それは撮らされた格好にもなるし、被写体を選択する自由を初めから放棄したことにもつながります。写真の技術を磨く上で同じモンを皆で撮影することはマイナスでは無いのですが、作品として捉える場合、それはボクは違うと感じています。。。

    2013年9月9日 13:45 退会ユーザー

  • 白石准

    月光花さん、自分のアプローチとしては、こんなに面白い事はありませんでした。

    作曲に於いても同じテーマで様々な作曲家が変奏曲を書くということは歴史上なんども試みられたことだし、それも写真と同じで、テーマを選ぶ自由を放棄していることではありますが、それが常にしばりとして作曲家や写真を撮るときにあるのならそれは自由がなくなるでしょう。

    しかし、顔も知らなかったPHOTO蔵での知り合いがたまたま私のConcertで集い、同じ被写体を撮ったという結果を僕は純粋に楽しんでいるわけです。

    たしかに様々な地方の方がこのPHOTO蔵にいらっしゃって、その方の地元でないと撮れないものもあるし、時期的に桜が東京で終わっても東北でまた数ヶ月遅れでその写真がリアルタイムということで出ている時の感覚って、こういうSNSならではのことで、自分自身だけで被写体と向き合って撮影する生活の世界観では味わえないものだと思って居ます。

    ですから、作品として捉える場合、みんなで同じものを撮るということは違う、という記述に関してはイマイチ僕の理解が及ばないご意見ではありますが、少なくとも自分自身で独自に見た被写体の視野を他の人の同じものを撮ったものを見て凄く刺激になった事は事実です。

    2013年9月9日 15:06 白石准 (40)

  • 白石准

    そして大事な事は、撮った自分の気持ちも大事ですが、それが他人の目に触れて感想を頂けるということです。
    様々な感想を一枚の写真から生み出していることは自分の写真ではなく他人の写真でも刺激になることが僕の場合多いし、被写体に対するある意味撮影者の感想が今回の数人の写真に表れていると思うので、十分にそれぞれの人の作品として説得力があったと僕は思っています。

    見る側に被写体に対する興味がない事は十分にあり得ますが、今回僕のお仲間がそれを撮った作品すべてに、被写体への興味なしに撮ったものは僕の眼にはひとつも無かったと思いますが。

    2013年9月9日 15:07 白石准 (40)

  • nophoto_70_mypic.gif

    白石准さん、こんにちは。月光花です。
    被写体に興味を持つことは好い事なんですが、一つの被写体を皆で撮る、この段階でボクは作品ではないと考えています。被写体を自分から探して作品を作製することが大事であり、共通のモノを撮る行為はその選ぶべき被写体を自分で選択せず放棄したことと同じだと思います。偶然同じモノを撮影していた場合はコレに該当しませんが(笑)作品は孤独であるべきだが孤立してはいけない、コレはあくまでボクの写真論であり、こういったモノの見方があることを知って頂ければ幸いです。

    2013年9月9日 16:21 退会ユーザー

  • 柳島蒼機(心臓リハビリ中)

    月光花さん
    今回のは間違いなくどなたの物もあなたの論理で「作品」ですよ。
    そこへ到達に至る過程を知らずに言っているのならば仕方ない事ですが、「あっ。あれだ」そう思ってレンズを向けた物である訳で、別に「これみんなで撮りませんか」と打ち合わせした訳ではありません。
    月光花さんの仰る「自分から被写体を探す」と言う事は非常に大切な姿勢です。
    その上で自分の被写体を探し撮影する。
    それも大切な事です。
    ですが、今回の場合、選択肢として撮らないという選択もあった訳です。
    撮るという選択肢もあった訳です。
    いいですか?
    撮るも撮らないもカメラマン次第です。
    みんなが撮っているから撮らないという理由なのであれば、それは自分で選択せず放棄したのと同じなんです。
    興味を持ち、撮ってみたいと思ったらシャッターを切る。
    それがカメラマンじゃないでしょうか?
    自分はそう信じています。
    当然、月光花さんのお考えも等価値で写真論です。
    ですが、同じ物に偶々興味を持ち、それぞれが目線を持っている。
    その時点で同じ物はあがってこない。
    その別な物を作品では無いというのは、些か暴力的に感じます。
    自分のモノをどう言われても良いですが、他の方の「作品」の魂まで無かった事にするのは勘弁して欲しいです。

    2013年9月9日 17:40 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)

  • 柳島蒼機(心臓リハビリ中)

    白石さん
    ごめんなさい。m(__)m
    つい、、、m(__)m

    2013年9月9日 17:44 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)

  • nophoto_70_mypic.gif

    あいあいさん、こんにちは。月光花です。
    コメントありがとうございます。写真のお話をこうしてできることを嬉しく思います、と同時に不快な思いをさせてしまったのならスミマセン。。。
    ただ作品に対するアプローチとしての考えは一通りでないのであくまで一つの考え方を述べさせて頂きました、写真自体に魂が無かったとはボクも思っていませんしソコを否定するつもりはありません。同じ写真好きとして書き込み致しましたが、言葉って難しいので作品に対するボクのアプローチが伝わりにくいかもしれません。でもそれはボク自身のボキャブラリーの無さが招いたことなので反省しております。白石准さんにまでご迷惑をお掛け致しました。

    PS.あいあいさんのお写真、拝見致しました。情熱的で明確な意図を感じさせるお写真を撮られている、それは素晴らしいなと感じました♪これは写真論一般、写真って好い、これは間違いないでしょ!

    2013年9月9日 19:07 退会ユーザー

  • 白石准

    ええと、まだ岡山でコンサートをして羽田空港からの帰り(爆)なのとMacの電池が無くなりそうなので、追ってまたコメントしますが、僕は色んな意見交換がここで交わされるのは決して不愉快ではなく、意見の一致も楽しいし、意見の相違もお互いに認め合わないと駄目だと思うので、それに対する僕のレスポンスはまた後ほど。

    ただ、音楽も作り手の意志は人と同じだろうが違うだろうが、明確にあって良いのだけど、それを聴く人の感想が自分の意図とそぐわなかった場合に、どういう態度を作曲家や演奏家が取るべきかということは何十年と僕は向き合ってきたつもりなので、僕の意見としては、そこに立脚しています。

    ある意味大事なのは作り手の意志が結果としての作品に一番大事であるかどうかということです。

    或いは、その作り手の意志を観客が知る必要があるかということです。

    あ、もう電池がなくなりそうだ。十分語ってしまったかもしれませんが(爆)

    月光花さんのご意見に全面的に僕は同じ態度ではありませんが、逆に月光花さんも、あいあいさんも、ある意味勇気あるご投稿をしてくださったことに対して感謝していますので、誤解無きよう。

    ではまた。二日間岡山で楽しく演奏させて貰いましたので、ちょっと横浜ではめ外して帰りますので(爆)

    2013年9月9日 19:19 白石准 (40)

  • nohyan

    ゴミが被写体と見るか、古自転車を被写体として見るかは撮る感性が決める事でしょう。カメラは静止画像であるが見る感性により温かく感じたり、美しかったり、声を掛けてくれるような、問いかけながら、問われているのが写真だと思う。動画の被写体は画面の中で動いて頂ける、すなわちヒーローが演出してくれる。この写真は、古自転車が、素晴らしい「脇役」を演出している最高の写真ではないだろうか。難しながら濃い思考の写真ではないでしょうか!

    2013年9月9日 20:28 nohyan (39)

  • 白石准

    nohyanさん、ありがとうございます。

    そうですね、僕の一連のこのミニチュアの自転車の写真の中で、こいつ自体を表面的には脇役にしたのはこれだけかもしれません。

    でも脇に置いたドライフラワーのお陰と影のお陰で、独特の存在感に演出出来たかも知れません。
    あとは長時間露光に因る質感と、ちょっと彩度を落としてみたことの総合的なところで他の僕が撮った同じ自転車の写真とは区別したアプローチになったかもしれません。

    実は撮影するときには「濃い思考」はほとんどありませんでした。(つづく)

    2013年9月9日 22:27 白石准 (40)

  • 白石准

    僕はピアニストとして演奏する瞬間は、その場その場の思いつきが反映するところがリアルタイムで変わる事もありますが、作曲するときは、写真で言えばレタッチの連続です。
    それももちろんベートーヴェンやブラームスほどではありませんが、何十年もかけて加筆を続けている作品があります。
    だから、「濃い思考」ということを敢えて受け入れるとすれば、それは後処理の段階で考える事ですね。

    ノー・トリミング、ノー・レタッチを信条とする方もいらっしゃいます。
    それは、僕で言えば即興演奏をするときの気合いです。
    後でどうにも出来ないからその瞬間にすべてのひらめきを閉じ込めます。

    で、様々に作品を加工して結果にする人たちの気合いは僕にとって譜面でも残す、作曲作業でたとえられます。

    どちらにせよ、聴く人、そして写真を観る人って意外と作品を作った人ほど時間をかけては見てくれません。直感で見てどんどん他の作品に飛んでいったりしますよね。

    そこで何処まで自分の意志を伝えられるか、それはキャプションもあるだろうし、なにもキャプションを通さず伝える時もあるし、結論としてはいろいろですよね、って言いたいだけなんですが(爆)

    2013年9月9日 22:28 白石准 (40)

  • 白石准

    月光花さんの「作品」の定義に於いて、同じものを複数で撮った時点でその価値がなくなるという部分がどうも僕には理解できないのです。

    長くなりそうなので、時間をかけて何回かに分けて僕の意見を述べたいと思います。

    まず、あいあいさんの書かれたとおり、僕が弾く演奏会場にあの当日数人のPHOTO蔵仲間が集いました。

    そして、僕がかつて撮った被写体を見つけ、各々が僕の知らない間に「勝手」に撮ったものです。

    で、たぶんここが月光花さんの気に入らないところだと思うのですが、僕が面白がって、それらの写真をリンクさせ、関連づけた事なのかもしれません。

    その瞬間、クラブ活動みたいに見えたので、それらは全部独立した写真だったはずなのに、月光花さんの眼には、「被写体を独自に探す」という事に於いて、凄く真剣さが欠けている様に見えたのでしょうか。

    そうなると、「作品」の定義は必ず誰も見つけていないものを撮らなければ行けなくなります。

    そんなものはジャングルの奥地に行かない限りなかなかないのでないでしょうか。
    あの自転車の写真群が撮られた日が、同じ日じゃなければ、あるいは僕が居ない時に撮ったものだとすると、その定義はどうなりますでしょうか。(つづく)

    2013年9月10日 01:57 白石准 (40)

  • 白石准

    そして、PHOTO蔵でも「テーマタグ」というのが設定されていて、そのテーマタグに沿った写真がそのタグ付けをした途端に「作品」が「作品」でなくなるのでしょうか。

    それは違うと思います。
    もう記述されていることではありますが、作品は全部独立しているわけで、僕があんなに関連づけず、各々を偶然に月光花さんが見たとしたらどういう判断を下されたのでしょう。
    キャプションを誰も付けなければ。

    写真は写真であるわけで、月光花さんも僕もどちらかというとキャプションもコメントも長いですよね。
    でも何も書かない人もいらっしゃるわけで、その予見(みんなで撮ったという事実)が「作品の価値」を変えるとしたら、それは写真を観てないことになると私は思います。

    この件に関しては感情的にならずディベートを繰り返すことに於いてやぶさかではありません。
    次の投稿では、別のアプローチで述べたいと思います。

    2013年9月10日 01:58 白石准 (40)

  • 白石准

    で、写真は、事実を映し出すものでもあるし、人によっては旅行の思い出(証拠というドライなものも含む)を記録すれば良いのであって、「作品」という意識があろうがなかろうが、色んなもの(すべてが「作品」と言っても良いとも思うし、すべてが単なる「写真」であるとも言ってみても良い)がこのPHOTO蔵にも存在して居るわけです。

    そもそも、「作品」と月光花さんが定義したものに対して、我々の撮ったものを「作品」ではないと述べた根拠は、結果としての「写真」ではなく、その動機を問題にされましたね。

    前にも書きましたが、あえて、作品という言葉を「芸術」に置き換えますが、動機は作者しか判りません。

    僕は常々音楽を創造する生活をしていますが、作者の動機をどうやって知るか。
    たとえばモーツァルトのそれは、後で誰かが書いたものを通じて知るわけで、もしかしたらそれは全部間違っている可能性もあるわけです。

    大事な事は、作品の出来を評価するのか、作品の動機を評価すべきなのか、と言うことです。(つづく)

    2013年9月10日 02:06 白石准 (40)

  • 白石准

    多くの音楽家でない方々が、大作曲家は常に心の中にオリジナルな音楽の泉が湧き、それに従って作曲すると考えています。
    そういう「動機」もあるでしょう。

    でも大概の場合は、プロのカメラマンと同じく、「誰かに頼まれるからそれに従って作曲する」ことが、いわゆる仕事で音楽をするということです。

    音楽で言う被写体をたとえば劇音楽の台本に置き換えます。
    心の底から共感を覚えないものにも作曲をしなければならないのがプロです。

    しかし面白いもので、演奏する曲にせよ、作曲する台本にせよ、自分が本来自分の魂に沿って思って居た「予見」というのは実に視野が狭いことに気づくのです。

    意外と自らの意志で選ばなかった曲を練習してみたり、しょうがなくて読まされる台本を何度も読み直していく度に最初なんとも思わなかったものに感動を覚えてくることは僕の日常ではどちらかというとそっちの方が「発見」と言える創造的な瞬間です。

    制限のないところで自発的に「楽に」感じる感想なんて言うのは実は本当にプロといえどもアマチュアの考える事と同じレヴェルなのだと僕は思います。
    それはそれで、「仕事を忘れる」感覚として尊重すべきな点でもありますよ、もちろん。(つづく)

    2013年9月10日 02:14 白石准 (40)

  • 白石准

    僕の尊敬するとある作曲家は職人ですから、ハムレットの音楽を違う劇団でもう4回も書いています。

    それ以外にも多くの作曲家がハムレットを題材に書いています。

    ではそれらのプロの作品は自分で作品の根拠となる「被写体」を探していないので、「作品」として成立していないのでしょうか。

    今回の場合は、「違うカメラマン」が「同じ被写体」を撮りました。

    僕は良くやるのですが、時期を違えて「同じ被写体」を違った気分で撮る事をやります。
    それは二回目以降、自分で新たな被写体を探しては居ません。
    でも二回目だからこそ、前撮ってない魅力を発見する義務が生じます。

    僕が今回感動したのは、僕以外の人の写真をみて、僕には備わっていない独自の視野を見せて貰ったことなんです。

    これは、「同じ被写体を撮る」という事が無ければ浮かび上がってこなかった大事な点です。(つづく)

    2013年9月10日 02:25 白石准 (40)

  • 白石准

    前にも書きましたが、PHOTO蔵は中には非公開の写真を投稿されている人もいますが、基本、公開してある写真はどなたかに鑑賞されるわけです。

    そして僕もそんなに沢山の方々ではないですが、観て貰うなかにはコメントを頂いているわけで、その中には自分でも気づかない感想を貰う事があるのです。

    共感して貰えるものも嬉しいし、知らない魅力をその「撮ってない人」から貰った時には、動機なんかある意味その批評とはかけ離れていて当然だし、知らないからこそ書けるそれが面白いのです。

    音楽でも、意図したとおりに聴いて欲しいと若い頃は節に願ったものですが、そのうちそうではない事が創造と鑑賞の間の関係にはあるのだと気づきました。

    音楽も写真も観る側のコメントの中に創造者の意図以上のものが噴出するときがあると考えます。

    だからコメント自体が写真を成長させるわけで、大事な事は、自分が「作品」だと思ったものには意外とどなたにもスルーされていて、イマイチだなと思った作品が思いの外評価のコメントが来る事が、少なくとも僕には多い(爆)

    Pick Upされた猫の写真
    http://photozou.jp/photo/show/1934405/165633202
    なんか僕にとっては、その知らせを受けたときに思ったのは、「え?これ?もっと良い写真他にあるのに」と思ったくらいです。

    2013年9月10日 02:26 白石准 (40)

  • 白石准

    長々書いて煩わしくさせてしまいましたが、月光花さんの反論はまた楽しみに待っています。

    どうも、オリジナリティという定義に於いて、月光花さんのロジックの中に、違和感を感じたのは、音楽でたとえれば、

    Classic音楽は楽譜に書いてある音を「なぞれば」成立するのに比べてJazzはすべてその瞬間アドリブで思いついて音を探すからそっちの方が凄い。

    というかなり表面的な理屈に似ていると思ったのです。

    楽譜に書いてあると「自由」が無くて、何も無い所でやるのが「自由」というのは実はかなり浅薄な定義だと思って居ます。

    それなら、音楽でなくともシェイクスピアのハムレットも誰がやっても同じということになります。

    同じ音を弾かなければいけないので、その時点でオリジナリティを出すには何が必要かという縛りが譜面に書かれている音楽には存在するのです。

    僕の大好きなJazzの巨匠、秋吉敏子さんは述べています。

    Jazzの定義は、アドリブだからではなく、譜面見て弾いてたってスイングしてればJazzだし、アドリブで弾いて居ても面白くなければJazzではない。

    と。

    そのお言葉をそのまま今回の議論に結びつけられると思います。

    「作品」のインパクトは集って撮ろうが、孤独に撮ろうが、手続きとか動機には依存しないと思います。(とりあえず、今日はここまで(爆))

    2013年9月10日 02:34 白石准 (40)

  • nophoto_70_mypic.gif

    白石准さん、こんにちは。月光花です。
    夜な夜な悶々とさせてしまったようで申し訳ございません。仰ることはよく分かります。反論というわけじゃなく、一つのボクの考え方を示したワケで、けして相手をねじ伏せようとか全否定をするために書いたワケじゃないないことをまずご理解頂ければ幸いです。もしそう捉えられたのであれば、それはボクの言葉の無さでありボク自身が悪いということで構いません。

    写真は人生、生き様が写っているとボクは思っています。その写真撮影における作品に対するアプローチも人其々でありそれでボクは構わないとも思います。ただ自分の作品へのアプローチはこうであると一つの考え方を述べた次第。

    単刀直入、ボクの作品へのアプローチは孤独です。それは全ての無から自分で何かを生み出し仕上げるまで、一人で遂行することを意味してます。
    ボクはマラソンをしていますが、これも一人で孤独に走るパターン、皆でワイワイしながら励まし合って走るパターンとに分かれます。どちらが正しいじゃなく、42.195?を完走するための手段であり、どちらを選択しても別に構わない。だけどボクは一人で完走することに価値を見出すタイプであり、皆でワイワイ走ることが理解できないタイプなんです。だから練習も黙々と孤独に走りますしそれはそれで精神統一、忍耐力の向上と健康増進に一役買っているワケです(笑)

    続く・・・

    2013年9月10日 11:49 退会ユーザー

  • nophoto_70_mypic.gif

    続き・・・

    写真を白石准さんは音楽を例に挙げられたように、ボクはマラソンを例に挙げます、これも人生でありけして同じ道を歩んでいないので全く同じ思考にもならないし、意見をぶつけ合うのは自然な成り行きだと思います。写真を通じて語る、それは写真の内容だけでなく人生に踏み込む、哲学というか信念というか、語りあったところで共有できることは共有し、相容れないところを妥協することもない、それがヒトであるとボクは感じています。

    今回は作品に対するアプローチの件で書き込みしていますのでタグの件とか写真を撮影する過程を知ることで写真への評価が変わるかについてのコメントは差し控えさせて頂きます。

    ボクは基本、書くことが大の苦手なんです(笑)逢ってじっくり腰を据えて話をしないと真意は伝わらないと今、書いていてもそう思います。文才があれば好いのにな、とは思いますが、凡才は話の枝が増えて収集つかなくなりますので別な機会、もしくはボクが本土、白石准さんが沖縄へいらした時、話の続ができればコレ幸いです♪

    作品へのアプローチは孤独ですが、孤立とは違います。孤立は写真を撮影しても公開せず、一人で貯め込むことだとボクは思っています。孤立であれば、こうしてコメントを残しませんから〜(笑)

    2013年9月10日 11:49 退会ユーザー

  • 雪のんの

    皆さんのご意見 面白く読ませていただいています。
    (今から仕事なので、後からゆっくり読もうっと)

    2013年9月10日 12:19 雪のんの (6)

  • 白石准

    月光花さん、レスポンスありがとうございます。
    僕は表現について、仕事柄直感的な思考と熟慮した思考とが混在しながら共演者とも、自分自身についても、そして違うジャンルのアーティストと語り合う生活をしてきましたので、同意、共感に包まれる嬉しさも知っているし、反発しているからこそ、良い共演が出来る例もしっているし、自分の考えを、他人の独自のやり方を観て変えることも、あ、変えるというとプライドが許さないように聞こえますが、それは、本を読んだり別の人のパフォーマンスに衝撃を得て自分が成長するという意味で変わるのですから、「相手をねじ伏せよう」という感情的な見方をしているわけでは決してありません。

    日本はディベートを避ける気風があります。
    満場一致が原則の国民ですから。
    そうじゃ無い場合、「みんな色々だから」とお茶を濁すことになり、何も、他人の視点と言う事が自分の視点に取り込まれない事が、独自性を保つと言う事と勘違いされているところがあると思って居ます。

    ですから、「自分の考えを述べただけだ」という月光花さんのレトリックは少し残念なところがあって、もうちょっとその真意を知りたいと思うのです。(つづく)

    2013年9月10日 13:32 白石准 (40)

  • 白石准

    書く事が苦手だというのは、あまり信用しませんよ(爆)
    なぜかというと、僕と同じかそれ以上に月光花さんのページは言葉に溢れているからです。

    これは喧嘩ではありません。
    たしかにあまり気分の良くない事例はこの僕のページで展開されたことはあります。
    http://photozou.jp/photo/show/1934405/171167543

    がそれとは違って、今回は批評をして頂いた事への問答ですから、大前提として、僕は月光花さんの写真のお気に入りをしたものはすべて、リスペクトした結果だということを踏まえて、読んで頂きたいです。(続く)

    2013年9月10日 13:39 白石准 (40)

  • 白石准

    僕が音楽にたとえたものだからマラソンに例えて頂いたわけですが、それは意味のない飛躍です。

    では僕もマラソンにたとえましょう。何を隠そう、僕もかつて青梅マラソンを走った経験があります。
    僕が今まで長々と書いた音楽に例えた「作り手と鑑賞者」の関係はマラソンでも、お書きになった通りに、「孤独と孤立の違い」は明らかに存在します。

    僕の場合、初めて走った事情があり、一人で練習すると、10キロ強でダウンしてしまったのが、本番は他に走っているひとプラス、もっと大事だと感じたのは、沿道の方々の驚くべき多様な応援でなぜか30キロ走れてしまったときに感じたものです。

    マラソンは孤独だと仰いますが、音楽だって作曲や演奏の瞬間はこれ以上無いくらいの孤独ですよ。特に仕事でそれをするなら。

    だから、音楽ではそうだけど、マラソンで例えているから本質が違うというレトリックは僕には受け入れられません。

    この問答の原点は、「大前提としてみんなで集って同じものを撮ると作品にはならない」という命題のことだけなんです。

    でもそれを言うなら誰も「作品」を撮るつもりでいきり立って撮ってなかったはずです(僕は演奏の瞬間いきり立ってましたが(爆))が、十分に月光花さんの言うところの立派な作品には成立しているとは思いますが。(つづく)

    2013年9月10日 13:48 白石准 (40)

  • 白石准

    そこの所を、
    >今回は作品に対するアプローチの件で書き込みしていますのでタグの件とか写真を撮影する過程を知ることで写真への評価が変わるかについてのコメントは差し控えさせて頂きます。

    とされましたが、「過程」と「アプローチ」ってそんなに本質的に違う事を差しているのでしょうか。
    言葉の文法的な意味は違うかも知れないが、この場合同じ事を差していると言っても過言では無いはずです。

    そこの所のお考えを僕は一番訊きたいと思うところです。
    僕は音楽で写真のたとえを散々しました。
    でもそれが別世界だというなら月光花さんさんのフィールドで表現されても結構です。
    自分が知らない世界だとしてもその次元で問答したいと思います。

    孤独感で自分と戦ってこそ心が浄化されるのならマラソン大会に出場する事自体、みんなで撮ることと同じ様に、ランナーが集った瞬間その哲学的思考が霧散するとお考えですか?(この稿終わり)

    2013年9月10日 13:49 白石准 (40)

  • 白石准

    雪のんのさん、雪のんのさんもあの場所に居らしたので僕におもねることなく、独自のご意見をお待ちしています。

    これとは関係ないけど、昔コンサートや映画などに行って帰り喫茶店や居酒屋で交わした感想の数々、それがネット時代になってネットに多く見掛けるようになりました。

    僕も若かったのですが、一度自分の演奏(でもあるし、作曲の初演)のある方の批評があまりにとんちんかんだったので、ネットに公開したからには、それは僕の作品が批評の俎上に載るのと同じで、批評自体を批評したら、完全に相手に切れられました(爆)

    自分はいつも安全地帯に居ると思っている人種(直感で思った自分の感想は誰がなんと言おうと何人にも犯されない神聖なもの)を相手にするのはとてもデリケートです。
    何を書かれても、作品を世に出した場合は、苦虫をかみつぶし、耐えなければいけないのかなと思いましたが、事情はだいぶ変わっているはずだよなと思います。

    サッカーのサポーターと選手達も常に良好な関係ではないので、応援したいという強い気持ちが選手への罵倒になることもあるわけだし、罵倒された選手はその晩寝付き悪いでしょうね。

    世の中の人に観て貰う、聴いて貰うという仕事は本当に綱渡りみたいなものです。

    2013年9月10日 14:09 白石准 (40)

  • nophoto_70_mypic.gif

    白石准さん、お付き合い頂きありがとうございます。
    簡潔にてこちらの書き込みを最後に致します。申し訳ないですが、本当に書くことは好きじゃないんですよ。信じてもらえないかもしれませんが。

    例えは悪いかもしれませんが、「過程」は戦術であり「アプローチ」は戦略的に捉えています。なのでボクにとっては全く違うことになります。

    >ランナーが集った瞬間その哲学的思考が霧散するとお考えですか?
    おかしいのはボクだけかもしれませんが、その通りです。

    価値観が全く違うということもあるワケです。

    2013年9月10日 14:12 退会ユーザー

  • 白石准

    月光花さん、では終わりに致しましょう。

    何処まで行ってもご自分の側に思考を引きつけますね(爆)

    そしてあの自転車の写真はしつこいですが、「後で」このPHOTO蔵に公開されたものを観た時に、僕が「芸術的な作品」として「圧倒的に」面白いと思ったので、関連づけたものであり、僕の(孤独な(爆))独奏の演奏を聴いて、皆さんの中に丸で違う感想を共有して頂いた後、楽しく集って自己紹介などのお話ししている時点でも一言もあの自転車の話題は出てなかったわけですから、

    でもたとえ、そうではなく、みんなで撮りあいましょうと意思統一があってやったことでも(否、それだからこそなおさら)僕は十分に芸術的だとおもっています。

    そして、音楽に置いては、まず真似から始まる事があります。
    僕は「無」からは何も生まれないと信じています。(つづく)

    2013年9月10日 14:34 白石准 (40)

  • 白石准

    オリジナリティとは無からの創造ではないのです。
    育ってきた様々な過程の上にイマジネーションは生まれるのです。
    アナログシンセをやり始めた頃、さあ、誰も聴いたことの無い音を合成するぞと思いながら、偶然の産物はできるけど、なにか完成品をイメージしようとすると、かつて聴いた音しか思い浮かばないことを思い出し、そう思う事にしました。

    そんな事を言ったら、写真なんか自然の創造物を機械の性能に頼って切り取っているだけで、絵筆を動かして真っ白な紙に絵を描くより圧倒的に価値としては低いという残念な理屈に通じてしまいませんか。

    月光花さんの考えが未だに理解できないのは、本を読むことによってある知識や感動を得る事自体も、自分で見つけてないから、そして他人も読むものを読んだらそれは価値のないことと同時に、そこからは何も作品が生まれないということになりませんか?

    それと、僕が演奏しているクラシック音楽の演奏自体、もう百年も二百年も繰り返し弾かれてきたものを弾いて居るわけですから、そこに価値を見いだして貰えないということになりますね。

    やっぱり戦略と戦術の違いよりも、孤独と孤立を混同している様にしか読めないのが残念ですね。

    僕はこれからも自分でも撮るけど、面白い面々と同じものを撮って見せ合うことに価値を見いだして行きたいと思います。

    2013年9月10日 14:39 白石准 (40)

  • 白石准

    ああそうだ、月光花さんへの追記です。

    自分の写真に対するアプローチの方針はそれぞれの方で違うのは十分に判るのです。

    で、それを誰かの写真のところで主張した場合、やはりそれに対する問いかけには「違う考えもあると言うことを示す」という結論だけではなく、説明が十分にされないと、この写真が月光花さんのものだったら、ここまで長く僕が続けなかったと思いました。

    つまり僕の写真に対する「これは作品ではない」という批評だけではなく、他の方の写真にまで言及された事になったからなおさらなんです。

    2013年9月10日 15:31 白石准 (40)

  • 雪のんの

    今 読みました。
    私は、こうして皆さんが 一枚の写真でいろいろ考えをぶつけあうこと、
    とても面白いことだと思います。
    がんとして譲り合わないのも、それはそれでいいのじゃないかな

    昔 芸術家たちは、サロンで熱く語り合い 交流を深め合い 新しいものを生み出していったのですよね

    この場での意見の相違や、勘違いはあっても、非難覚悟の姿勢は勇気とみなしていいのじゃないかしら(笑)

    で、私が「作品」について少しコメントすると・・・
    あはは だれもがスル―しそうだけど・・・

    私の場合 被写体を見た時の感動がシャッターを押すことになります。

    感動 それは、美しさ 可笑しさ 怖さ ・・・汚いものにも、(noyhanさんが書かれましたね)びっくりしたり
    いろいろです。

    この写真から、私は、少年の夢や、黄昏の風の音 など感じます。

    ある意味 写真って現実のものを撮りながら、自分の心の中の吐露だったりします。そのもの への感想だったり、憧れだったり 畏敬の念だったり
    気がついたら、撮っていた 最高ですよね

    音楽 気がついてたら、歌ってた ピアノを弾いていた になりたい

    あいあいさんだったかな 知らず知らずにシャッター押していたって(笑)

    そんな仲間をたくさん持っている 白石准さんは、幸せですね

    2013年9月10日 21:21 雪のんの (6)

  • 雪のんの

    熱く語りあいましょう
    語っていたら・・・

    フォト議論  気がつけば 満ちはじめた月   雪乃

    十五夜(19日)に向け 月が 満ちはじめました 
    心も満ちはじめた私です

    2013年9月10日 21:22 雪のんの (6)

  • 白翁

    君子、語らずして君子なるを知らるる。また、語りて友を得る。
    友、語りて友なるを知る。 また、黙して心を交わす。

    語りて後黙す。また黙して後語る。神なるかな,神なるかな。
    妙なるかな、妙なるかな。
    人は人なるを以て、神に非ずも、人は人なるを以て、友を得る。
    真は真に非ず。真贋を問う莫れ、真贋はその本質に非ず

    2013年9月10日 22:18 白翁 (21)

  • 柳島蒼機(心臓リハビリ中)

    雪のんのさん
    これは自分が誰かと自分の写真を話す時に話している事なんですが、
    「写真には二つの摂理みたいな物がある。見た物を見たまま写す事だけは出来ない。だけれども、そこにある心だけは隠せない」
    これはあの日もあの場で話したんですが、その時雪のんのさんは帰った後の事でした。
    偶然にも写真に対して、似たような部分を感じられている様で、自分以外の方から、そういった言葉を垣間見られたのは、何というか、嬉しい気がしますね。

    多分、どこかのコメントで言っていたかもしれないです。
    知らず知らずにシャッターを切っていたって、それ、自分には良くある事なので (;^_^A
    ちょっと確信持てませんけど 笑

    2013年9月10日 22:36 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)

  • 白石准

    雪のんのさん、この写真自体は、このサロンのオーナーでさえ買い物に行っている誰も居ないときに、部屋の電気を真っ暗にして外から入る灯りだけで撮ったものです。

    その中に夢や、風の音を聞いて下さったのは嬉しいです。

    まあ問答の経過に於いて、それは問答そのものでも、普通の写真の感想でも、意見の一致を見るのも楽しいし、一番最初の方に書いた様に、自分が考えも着かない考えを聞いて自分の視野が変わっていく事も楽しむために、コメント欄が活用される事を僕は期待しています。

    コミュニティだってそうなんです。だから自分の作ったコミュニティに投稿があった場合は必ずなにかしらレスポンスすることにしています。

    今回の長い問答では、何もテーゼ、アンチテーゼの先に止揚という段階を見られなかったのが残念でした。

    お互い相手の意見の違いを確認しただけで終わってしまいましたが、まあ全部は読む気にならない方の方が多かったかも知れませんが面白がってメッセージを下さった方も居るので無駄ではなかったとは思いたいです。

    2013年9月10日 22:37 白石准 (40)

  • 白石准

    雪のんのさん、なかなか高い視点からの一句ありがとうございます。
    まるで、“セロ弾きのゴーシュ”の中のかっこうとゴーシュが丁々発止やっている間に、夜が明けて、ゴーシュとかっこうが、一瞬黙って窓の外を見た瞬間、黒い雲がゆっくり動いている時の場面みたいです(爆)

    2013年9月10日 22:39 白石准 (40)

  • 白石准

    白翁さん、示唆に富む孔子のお言葉でしょうか、何度でも読み直したくなる重いお言葉です。

    >真は真に非ず。真贋を問う莫れ、真贋はその本質に非ず

    難解ですがなにかぐっときました。
    確かに音楽をやっていて、楽譜に書いてあることの「解釈の本質」について議論をしていて、時に空虚に思う事はあって、音楽の演奏に於いて、もっとも大事な事は、「正しさ」よりはそれを越えた何かに人は感動するのだと言う事に着いて、常に考えてはいることですから。

    まあ自分の作品への様々な批評は外に出した以上、写真についてはアマチュアだけどそれを受け取る事は覚悟は出来ています。

    単純に、集った初めてのPHOTO蔵仲間との当事者としての楽しい高揚感から導き出された作品群への、つまり私と私以外の写真への僕にとっては不当に思える作品以前の部分への評価に対して、その根拠を納得したいというための問答でした。

    良い感想を貰わなかった場合の心の動きについてはまだまだ修行が足りませぬ。

    2013年9月10日 22:49 白石准 (40)

  • 白石准

    あいあいさん、僕は常々、教育について、「個性を伸ばそう」という命題について、たとえば、スポーツでも演奏でも基礎段階の人に対しては、専門的にやるならばという前提で、「個性尊重」ということは接し方については考慮するけど、「自由にさせる」という意味では意味の無いことだと感じています。

    「型」というと文字通り(音通りが正しいか(爆))堅苦しいですが、

    >「写真には二つの摂理みたいな物がある。見た物を見たまま写す事だけは出来ない。だけれども、そこにある心だけは隠せない」

    という言葉に述べられているように、同じ音を弾いたって、たとえば雪のんのさんと僕では、同じようには弾けないものです。
    だから、何百年も同じ曲が弾き続けられて居る訳で、コンピュータの打ち込まれた音が何年も再生されたら飽きるだけでしょう。

    個性は努力しなくても出てきてしまうものだし、その上で、「個性を発揮する」という積極的な意味だと、それは「基礎技術習得の後」、アグレッシブさがプラス必要になると考えます。

    良く、食い物にも使われる評価のことばで、「癖のない」というのが良い様に思われますが、こと音楽(だけじゃないと思いますが)「癖の無い様に表現する技術」というのは、「なにもできないから癖(=個性)がない」とは違うと思うのです。

    ですからその言葉もなかなか真理をついていると思います。

    2013年9月10日 22:58 白石准 (40)

  • ベードラ

    読ませていただきました(出張が重なっており、また公開順に見ているためこんなに遅くなってしまいました)

    月光花さんとのお話興味深かったです。マラソンのたとえも含めて(笑)

    出来ることなら月光花さんと一緒にランニングの練習して、レースに出て、へとへとになってからこの写真の話をしてみたいです。。。

    白石さんにとっては終わりにしたお話でしょうから、レスは結構です〜〜
    ただ一言感想を書きたくなってしまったので、、、、

    失礼しました。

    2013年9月25日 13:03 ベードラ (6)

  • 白石准

    ベードラさん、こういう議論は嫌いではありません:-)

    そういうやりとりをしている間に、その「違い」を面白く思ったり、自分が持ち合わせてない世界観に自分の視点をあわせてみたくなることは進歩の重要な要素だと思うからです。

    自分一人の世界観では絶対に進歩しないことは音楽で経験してきました。

    そういう意味で、僕としては、数人のPHOTO蔵仲間が集い、そこで撮ったものを拝見して、「同じものを撮ったのにこうも違うか」という事に対して驚きを隠せなかったというのが大いなる発見でした。

    いつも皆さんは(たまに偶然同じものもありますが)、基本的に違う被写体を別の日に撮って居らっしゃるので、そういう比較は出来にくいので、それが面白かったのです。

    ですから、音楽のコンクールで同じ曲を違う人が弾くのを聴いて、「へえ、こういう弾き方もあるんだな」と感心した経験と同じですね。

    月光花さんとは、「違う事」という事が、最終的に「違うから面白い」という所に着地できなかったのは少々残念でした。

    まあ主義の相違で、あの日僕の演奏を通じて集った我々の、ささやかな高揚感は残念ながら共有して貰えなかったのですが、彼の写真はそのレトリックを無視して拝見すればとてもお上手だとは思いますよ。

    2013年9月25日 13:20 白石准 (40)

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