薬師寺の僧尊崇〜国清寺開祖智顗像Statue of Zhiyi,Guoqing T-emple
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天台智顗(ちぎ)(538−597年)は天台山に登って天台教学を確立した。
天台教学は妙法蓮華経(法華経)を根本経典とする。
国清寺を修復して教団の生活規定を制定した。西門石城寺で入滅。
晋王から「智者大師」の号を賜わった。
「あなかしこあなかしこ」と、本尊をばおきて、手をおしすりてぞよろこび侍りし。
(『紫式部日記』)
《参考》
・薬師寺の僧景戒があらわした『日本國現報善惡靈異記』のなかに天台智顗の名がみえる。
下記の原文は、角川文庫板橋倫行校注『日本霊異記』から引用。
「羊僧景戒、學ぶ所はいまだ天台智者の問術を得ず」(下巻序文)
「然るに景戒、・・・いまだ天台智者の甚深の解を得ず」(下巻第三十八)
・「経は 法華経さらなり。普賢十願。千手経。随求経。金剛般若。薬師経。仁王経の下巻。」
(岩波文庫 『枕草子』)
Zhiyi (Chinese: 智顗,Japanese: Chigi) (538-597 CE) is generally considered the founder
of the Tiantai tradition of Buddhism in China.
Zhiyi is famous for being the first in the history of Chinese Buddhism to elaborate a complete, critical and systematic classification of the Buddhist teachings.
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