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吉祥寺(本駒込)

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Photos: 高林寺(向丘2丁目) Photos: 洞泉寺(本駒込)

吉祥寺(本駒込)

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mixiアルバム「吉祥寺 (文京区本駒込3丁目)/二宮尊徳・榎本武揚・駒澤大学」コピー
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2012年03月24日 13:35

11.03.22.
●諏訪山吉祥寺――
曹洞宗。
開基、太田道灌。
開山、青巌周陽。
創建、長禄2(1458)年。
本尊、釈迦如来。
道灌公が、江戸城築城に際し和田倉付近の井戸から“吉祥”と刻銘された金印を得、これを瑞祥として青巌を請じて西の丸に建立した。
山号はその地が諏訪神社の社地であったことによる。
徳川家康入府のち駿河台に移され、たびたびの大火によって現在地まで移転した。
寺堂は近代まで七堂伽藍を誇っていたが、東京大空襲で焼失し、山門と経蔵だけが焼け残った。現在は復興され、本堂、客殿、庫裏等が建ち、往時の面影を忍ばせている。

(墓地、墓は荒れに荒れたまま。真っ黒に焼けた墓が並ぶ。
転落転倒したのもそのまま。
墓域の案内がなく、過去ワーストワンの墓参。)

※武蔵野市の“吉祥寺”の名前の由来。現在の吉祥寺は、諏訪山吉祥寺の門前で商売をしていた商人たちが武蔵野へ移り住んで興した町。“吉祥寺”という町に寺は存在しない。


●二宮尊徳――
にのみや たかのり(にのみや そんとく)。
天明7(1787)年~安政3(1856)年。
江戸時代後期の農政家・思想家。
通称は金治郎(きんじろう)。金次郎と誤表記されることが多い。
また、諱の尊徳は正確には“たかのり”。
「報徳思想」を唱えて「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した。

・像――
各地の小学校などに多く建てられた、薪を背負いながら本を読んで歩く姿に関する記述は、1881年発行の“報徳記”で現れる。
報徳記を基にした幸田露伴著の“二宮尊徳翁”(1891年)の挿絵で、はじめて薪を背負って歩く姿が使われた。確認されている最初のこの姿の像は、1910年に岡崎雪聲が東京彫工会に出品したもの。
1904年以降、国定教科書に修身の象徴として尊徳が取り上げられるようになった。小学唱歌にも二宮金次郎という曲がある。
学校教育や地方自治における国家の指導に“金次郎”が利用された経緯には、尊徳の実践した自助的な農政をモデルとすることで、自主的に国家に献身・奉公する国民の育成を目的とした統合政策の展開だった。この政治利用は、山縣有朋を中心とする人脈によって行われており、特に平田東助・岡田良平・一木喜徳郎らによる指導が大きかった。

小学校の校庭などに見られる金次郎像は、彼らの政策によって展開された社会環境を前提として、国家の政策論理に同調することで営業活動を行った石材業者や石工らによって広まったとされる。
(金次郎は故意に誤字を。そう、流通してしまった表れとして。)


●鳥居耀蔵――
小一時間かけてお墓を発見できなかった(X_X;)
まあ、尊敬する鳥居家の御先祖様…。その名を貶めたヤツ(▼▼メ)
書きたくなかったから、まあいいや。てなもんで。




――13.10.21.――
今回は墓探しf(-_-;
「前田丹後守・前田大和守、前田七日市家・七日市藩前田家」を認識。
「壬生藩鳥居家」墓認識。
「鳥居耀蔵」墓地認識。
わかったけど撮らなかった、溝口家、新庄家、松前家……。
ここはホント不案内!┐(`△´≡`△´)┌ 大名家のお墓がわんさか、わんさかあるのだよ!!

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