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写真:

写真: 旧高田老松町(目白台3丁目)

現在の名称は筑波大学附属視覚特別支援学校。(北側に敷地別れた? 別れてる?)
同敷地内?に、東京大学大学院工学系研究科附属システムデザイン研究センターとやら。

これに写る所はアップ現在「Mejirodai International Village」となっています。




mixiアルバム「文京区目白台1丁目・3丁目/水神社/」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000053999560&owner_id=32815602
2012年03月20日 21:18

11.05.02.
ここの地名は、目白不動があったことから説と、目白台にあったから不動様が目白になった説とあるようだ。不明┐(-_-)┌
文教地区であり、古い住宅街である。
豊島区目白と文京区目白台は異なる街だが、混同されることが多い。
傾斜の急な坂が多い。富士見坂、豊坂、幽霊坂、胸突坂、鉄砲坂など。また日無坂は映画などの撮影で使用されることもある。


●公益財団法人 和敬塾(わけいじゅく)――
男子大学生・大学院生向けの学生寮。
昭和30(1955)年、前川製作所の創業者、前川喜作氏によって創設。
7,000坪の敷地に、東寮、西寮、南寮、北寮、巽寮、乾寮の全部で6つの寮がある。塾生は約600名、塾生の所属大学は約50校。留学生もいる。発足時は東西南北の4つだったが、2005年4月より大学院生と留学生のための寮である巽寮が加わり、さらに2009年4月より乾寮が加わった。乾寮は全寮の中で留学生が最も多く、中国や韓国等のアジア系が多い。なお西寮と北寮は2009年に建て直されている。

●関口芭蕉庵――
※2丁目w
延宝5(1677)年、松尾芭蕉が二度目に江戸へ入った時に請け負った、神田上水の改修工事の際、“竜隠庵”と呼ばれた水番屋に延宝8(1680)年まで住んだといわれている。
享保11(1726)年、芭蕉33回忌に、松尾芭蕉やその弟子らの像などを祀った建物、“芭蕉堂”が敷地に作られた。
寛延3(1750)年、芭蕉供養のために、芭蕉の真筆の短冊を埋めて作られた“さみだれ塚”が建立される。
竜隠庵はいつしか、人々から“関口芭蕉庵”と呼ばれるようになっていた。

園内は、大戦による戦災などで幾度となく焼失し、現在の建物などは戦後に復元されたものである。
現在は講談社・光文社・キングレコードらが中心となって設立された“関口芭蕉庵保存会”によって維持管理されており、池や庭園などもかつての風情を留めた造りになっている。



●13.03.19.
「江戸川 ・桜(文京区)」
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000081621019&owner_id=32815602

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