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穴八幡宮(西早稲田2丁目)拝殿

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Photos: 穴八幡宮(西早稲田2丁目)拝殿

Photos: 穴八幡宮(西早稲田2丁目)狛犬 Photos: 穴八幡宮(西早稲田2丁目)布袋尊・手水舎

mixiアルバム「穴八幡宮 ・放生寺 ・空海/」
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000047995016&owner_id=32815602
2012年01月20日 13:43

11.05.02.
西早稲田2丁目。
●穴八幡宮――
あな。
康平5(1062)年、源義家が奥州からの凱旋の帰途、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀った。高田八幡宮と名付けられた。
寛永13(1636)年、ここに的場が造られ、八幡宮を守護神とした。
寛永18(1641)年、別当の放生寺を建立するため、社僧良晶(りょうしょう)が南側の山裾を切り開いたところ、横穴が見つかり、中から金銅の阿弥陀如来像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。3代家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。
歴代将軍がたびたび参拝し、8代吉宗は、享保13(1728)年に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬(やぶさめ)を奉納した。流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、穴八幡宮に伝わる“流鏑馬絵巻”には元文3(1738)年に奉納された竹千代(10代家治)誕生祝の流鏑馬が描かれている。
江戸庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有名だった。
明治12(1879)年には皇太子(大正天皇)の御蟲封祈祷も行われている。
昭和20(1945)年の東京大空襲で、建物の多くを焼失。
平成元(1989)年から神社施設の建替え計画を開始。
平成10(1998)年、隨神門を室町時代の様式で再建。

・冬至の“一陽来復”のお守りでも有名。お守りを受け取れるのは毎年冬至から翌年の節分まで。冬至の日は特別に午前5時から受け取る事ができるとか。
・早稲田周辺の寺社は、早稲田大学建設に伴い取り壊されて近くに移転、創建当時と異なる場所になってしまっているが、穴八幡宮は創建当時と変わらず現在地に佇んでいる。
・ここ早稲田通り、諏訪通りの交差点には、旧別当の放生寺と日本キリスト教団早稲田教会が隣接しており、神道、仏教、キリスト教が街の一角に共存している状態が続いている。

※江戸八所八幡――
大宮八幡宮
富岡八幡宮
金王八幡宮
西久保八幡神社
市谷亀岡八幡宮
御田八幡神社
穴八幡宮
鳩森八幡神社



●放生寺――
光松山 放生寺。
こうしょうざん ほうじょうじ。
高野山真言宗。準別格本山の寺院。
本尊は聖観世音菩薩。
寛永18(1641)年、放生寺は威盛院権大僧都 良昌上人が高田八幡の造営に尽力され、その別当寺として開創された。寺号が示す通り“放生会(ほうじょうえ)”で知られ、虫封じのご利益もあるとされる。
嘉永7(1854)年の地図では、この辺り一帯が“放生寺門前”と呼ばれていたことがわかる。
創建当時は穴八幡の境内に放生池があったが、明治期の神仏分離により池は放生寺の管轄となり、その後1920年代に埋め立てられた。現在は本堂脇の池が放生会に使われる。大戦により中断され、再開までの約40年の空白により伝統の多くが失われてしまったそうだ。

※穴八幡宮とは元々不可分であったため、神仏習合の江戸時代に始まった“一陽来復”の札の授与は穴八幡と放生寺の双方で行われている。ただし放生寺の札は“一陽来福”と1文字異なっている。

※別当寺――
べっとうじ。神宮寺の一種。神社境内に建てられ、別当が止住し、読経・祭祀・加持祈祷とともに神社の経営管理を行なった寺のこと。

※神宮寺――
じんぐうじ。神社に付属して建てられた寺院。神仏習合思想の現れで、社僧(別当)が神社の祭祀を仏式で挙行した。明治元(1868)年の神仏分離令により廃絶または分離。宮寺。別当寺。神護寺。神宮院。神願寺など。


●弘法大師(空海)――
唐に渡ったのは延暦23(804)年、大師31歳の時。遣唐使として、留学生として。
当時の都西安で恵果和尚の元で密教を学び、大同元(806)年に帰国。
京にて密教の教えを広める。
弘仁7(816)年、43歳の時、嵯峨天皇より高野山開創の勅許を賜り、七里四方の山を真言密教の根本道場として開く。
承和2(835)年3月21日、高野山において永遠の禅定に入る。
これを“入定(にゅうじょう)”と言い、単なる人間の死ではなく、死を越えて不死の境地に入ること。

入定の際、大師はご誓願として、
“虚空尽き 衆生尽きなば 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん”
世界が尽きるまで、迷える衆生が尽きるまで、さとり(衆生を救う行)の尽きるまで、永遠に仏に祈りつづけたい。空、衆生、さとりが尽きれば、わたくしの願いも尽きるであろう――と言葉を残して。

1200年近く経った今でも、大師様は世のため人のために祈念し続けている――ことになっている。

ありがたや
高野の山の
岩かげに
大師はいまだ
おわしますなる
(弘法大師第一番御詠歌)


別途、空海記事「旧東海道中4 品川寺・空海・江戸六地蔵/」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000003792306&owner_id=32815602

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