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11.07.14.花園神社(新宿5丁目)

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Photos: 11.07.14.花園神社(新宿5丁目)

Photos: 花園神社(新宿5丁目)東鳥居 Photos: 有馬兵庫頭下屋敷跡(新宿2丁目・3丁目)

mixiアルバム「花園神社/浅間神/酉の市/※アメブロリンク」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000031936906&owner_id=32815602
2011年08月07日 02:30

2011.07.14.――
●内藤新宿総鎮守 花園神社――
倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大島神社)・受持神(うけもちのかみ。雷電神社)の3柱の神を祀る。
創建の由緒は不明。徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和国吉野山よりの勧請と伝えられているよう。その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祀られるようになった。
元は現在地よりも約250メートル南にあった(現伊勢丹あたり)が、寛政年間、その地を朝倉筑後守が拝領し、その下屋敷の敷地内になってしまったため参拝ができなくなった。
氏子がその旨を幕府に訴え、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地が拝領され、そこに遷座した。そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられる。

明治に入り村社に列格。名称は単に“稲荷神社”に。一説には届出の際に“花園”を書き忘れたとか。
大正5(1916)年、改名申請し“花園稲荷神社”に。
昭和3(1928)年、現新宿4丁目にあった雷電稲荷神社(雷電神社/祭神 受持神)を合祀、郷社に昇格。
昭和40(1965)年、現在のコンクリート製の本殿に建て替えられ、その際に末社 大鳥神社(祭神 日本武尊)を本殿に合祀、社名を“花園神社”に改めた。


境内社――
・威徳稲荷神社

・芸能浅間神社(祭神:木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびや。木花咲耶姫))
※木花之佐久夜毘売――
富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている。富士山に鎮座して東日本一帯を守護している。
せんげんじんじゃ。始まりは“あさま”であり、今でもあさまと読まれる所もあるが、神仏習合の元、音読みが定着した。後出で“浅間大神(あさまおおかみ)”なる神が御祭神として設定された。

火中出産の説話から火の神とされ、各地の山を統括する神である父の大山積神(おおやまつみのかみ。大山津見神・大山祇神)から、火山である日本一の秀峰“富士山”を譲られた。
ただし、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、木花之佐久夜毘売は水の神で、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしている。また、この説話から妻の守護神、安産の神、子育ての神とされ、その名に因んで桜の木をご神木としている。

富士山麓忍野八海の湧池は木花之佐久夜毘売ゆかりの池とされ、毎年行う木花之佐久夜毘売の祭りではこの池の水で神輿を洗い浄めている。

(まとめ。火にまつわるもの・水にまつわるもの。転じて(ご都合)厄除け・家内安全・縁結び・子育・妻の守護など。また酒造神。)
(記紀では火の神。浅間社では水の神とする。)



アメブロに寺社にまつわるアレコレを書いてます。特にお稲荷様と午(ウマ)のことを…((( *`ω´) q)
http://ameblo.jp/emeth-spriggan/archive-201108.html
(稲荷大神 神社 神使 午歳 参拝 盆 時刻 彼岸など)
※その作成にあたり、午については当筋の本2冊をほぼまんま引用m(_ _)m 稲荷、参拝については過去レポート通りなら3冊。プラス現在発刊されているとあるマンガを参照しておりますm(_ _)m

※2011.11.27.記事の大量化につき、個々のリンクを消去しました。
2011年8月中に作成した記事(タイトル)が特に、ですが通して読んでいただけると幸いです┌(_ _)┐




2011年08月07日 02:37
●酉の市――
江戸時代から続く年中行事で、開運招福、商売繁盛を願うお酉様は、もと武州南足立郡花又村(今は足立区花畑町)にある鷲神社にその起源があるとされています。
同社のご祭神は日本武尊で、その昔、東夷討伐の帰路に花又地に立ち寄り、戦勝を祝したことが縁で、尊が伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなった後、神社を作りお祀りしたと伝えられています。
中世に後三年の役(1083年)が起きると、兄源義家を慕って清原一族平定に向かった新羅三郎義光が武具を奉納し、戦勝を祈願したことから武神として尊崇されるようになりました。
江戸時代になると、日本武尊のご命日といわれる11月の酉の日に、武家は綾瀬川を船で上り、町人は徒歩か馬を使って詣でていました。しかし、江戸より遠かったため、千住の赤門寺に「中酉」、浅草竜泉寺で「初酉」が行われ、吉原を背景とする浅草の大鳥さま、大鷲神社と隣接する鷲在山長国寺が繁昌するようになりました(1788年)。
酉の市は関東特有の行事ですが、静岡県浜松でも行われています。かつて徳川家康の駿河国の行事だったものが家康江戸入府とともに伝来したという説もあります。それが前述の起源と結びついて、武神としての信仰から、商人の守り神へと転化されたようです。
日本武尊を祭神とし、尾州徳川家に祀られたと伝わる新宿大鳥神社は、花園神社の境内に鎮座されています。その社紋(神社における家紋)は、「鳳凰の丸」が用いられています。
酉の市には開運熊手守、福財布、破魔矢(あたり矢)が授与されます。新宿の街の発展に伴って参拝する人が増え、浅草お酉様と並んで山の手随一の賑わいを誇っています。



2015年04月27日 22:09
記される数多の名と社――
木花咲耶姫
木花開耶姫
木華開耶姫
木花之開耶姫
木花之佐久夜毘売
木花開耶媛命
神阿多都比売
神吾田津姫
神吾田鹿葦津姫
鹿葦津姫
豊吾田津媛
桜大刀自神

コノハナノサクヤビメ
コノハナサクヤビメ
コノハナサクヤヒメ
サクヤビメ
カムアタツヒメ
カヤツヒメ


浅間社
子安社
都萬社
木花社
霧島社
高千穂社
新田社
大山祇社

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