祥雲寺(広尾5丁目)越前松平近栄墓
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mixiコピペ――
2013年04月19日 08:35
松平近栄(ちかよし)――
寛永9(1632)〜享保2(1717)年。
出雲国広瀬藩初代藩主。直政系越前松平家分家。
結城秀康3男 直政(直政系越前松平家宗家初代)の次男。
寛文6(1666)年、に松江藩主・兄 綱隆から3万石を分与されて広瀬藩立藩。
親族である越後高田藩の家中にて御家騒動(越後騒動)が起こると、近栄は播磨国姫路藩主の松平直矩と共に騒動の調停役を務めたが、これがのちに将軍綱吉の勘気に触れることとなり閉門処分とされ、くわえて1万5000石に所領を減らされた。後に3万石に復帰している。
藩政においては文武両道の名君で、領民のことをよく考えた善政を敷いたと伝わっている。
2012年12月12日 16:24記事訂正
アルバム: 東京都3渋谷区/武州
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